自閉症スペクトラム障害(ASD)

長男坊に付いた病名である。このことについて、書こうかどうか悩んでいたが、闘病記をブログにしようと考えた動機と同じで、この地球上のどこかで誰かに共感してもらえるならと思い、書くことを決意した。

 病気というと非常に暗いイメージがあるし、長男坊の外見からはとてもそれを窺うことは出来ない。何故なら普通にしていると、健常児と変わらない風貌だからであるし、私に似て、福山正治似のイケメンだからである(笑)。まあ、私に似ているとは言い過ぎたが、福山正治に似ているのは親のひいき目でないことを申し添えておきます。ところで、息子は社会的には精神病患者にカテゴライズされるらしい。何故、社会的には、という表現をするかというと、「身体障害者手帳」なるものを交付してもらったからである。「してもらったから」というと語弊があるかもしれないので、ここは詳しく説明を加えると、生まれつき四肢に障害がある場合など、例えば明らかに歩行が困難な場合、社会からこの人は障害があるということを認知されやすいが、息子のように精神に異常がある場合(文字にすると非常に辛いのであるが、あえてこう表現すると)、他人(社会)からはそのことを認知されにくいのである。このため、学校という社会生活を営む上で非常にハンディとなるから、放っておけばいじめられることは必至であったろうし、教師からも理解を得られなかったと思うのである。そこで、長男坊が小学校を卒業する今年の3月前に医師に診断書を書いてもらい、行政から身体障害者手帳なるものを交付してもらったのである。つまり、このような障害があることを中学校に手帳を提示して理解を求めてもらいにいったのであった。この決断が正しいかどうかは本当に分からないが、我々夫婦の決断であることに間違いはない。
 自閉症スペクトラム障害(ASD)は0.6%程度の割合で存在するらしい。1000人いると6人くらいがそうだとすると、結構な割合で存在することになる。また、程度には非常に差があって、重度になると重い知的障害を伴うことになるが、長男坊の場合、比較的症状は軽いかもしれないが、コミュニケーション能力は非常に低いし、知能指数は低いんだと思う。でも、重度の知的障害かというとそうでもないのである。要するに中途半端な状態なんだと思う。よその親御さんによっては、「うちの息子は身体障害者なんかではない。」と否定される方が多いかもしれない。我々も肯定したくなかったが、敢えてその道を選んだのである。すなわち、あくまで申告制だから、申告しなければ、障害者手帳なるものは交付されないということである。ちなみに、同じような手帳で「療育手帳」というものがある。これには該当しなかったようである。該当しなかったので、それ以上は調べなかったが、もう少し重度な症状に適用されているようである。
 身体障害者手帳なるものが届いたときは、正直辛かった。手帳の写真に収まった息子が何故か囚われの身になったような悲しい気分になった。妻は私よりきつかったと思う。女性はお腹を痛めて生んだ子だという意識があり、私よりも息子を不憫に思ったに違いない。祖母にあたる私の母は、身体障害者手帳の交付の事実を電話で伝えると、電話の向こうで泣いているのが分かった。母の夫、すなわち私の父は母と結婚をし、ちょうど私が母のお腹の中にいるときに交通事故の被害者となり、それ以来、身体障害者である。夫が身体障害者であるがゆえにその不憫さを人一倍知っているから、孫の不憫さを感じずにはいられなかったのかも知れない。
 このように告白めいて書いているが、我が家は極めて前向きで明るい家庭である。身体障害者手帳は我々からの息子への後方支援であると思っている。中学校入学の一日前、家族会議を開いた(というか、中学入学おめでとうパーティである。)のだが、その席で私は息子に向けてこう言い聞かせた。「お前は、自閉症スペクトラム障害という病気で、そのために言葉が話しづらかったりするんだけど、明日の入学式のあとの自己紹介のときに「僕は自閉症スペクトラム障害なんです。格好いいでしょ。」とギャグを言ってみたらどうか?」と。入学式の日の夕食のときに、そのように自己紹介したと息子が言ったときは本当に驚いたのである。「格好いいでしょ?」とまでは言わなかったらしいが、担任の先生から電話があり、息子が自己紹介で自分の病状を皆に伝え、理解を求めていたことに感動しましたと伝えられた。語彙力が乏しいゆえに、自閉症スペクトラム障害という言葉のネガティブさに気づいていないのだけれど、とにかく波乱含みの長男坊の中学校生活が始まったのである。
 この2カ月間は、頸椎症どころではなかった。症状はほぼ足踏み状態ですが、快方に向かっているという気はしています。とにかく、気力で完治しなければならない。学校のことや精神科とのやりとりで、この2カ月、妻には精神的負担をかけたことであろう。私も改めて覚悟しているが、このことは妻にも言い聞かせてある。「老後は3人と思っておこう。」と。