今年は病に悩まされた一年でした。ダメージの小さい手術を選んだのは良かったのですが、リバウンドに約半年悩まされ(現在も継続中)、本当にメンタルがやられそうになりました。継続的に神経痛に苛まれるという状況も人生で初めての経験でしたが、確かにこのままこの状況が継続するのではないかという精神的なストレスの方が体に悪影響を与えていたように思います。
このまま養生生活を送っていても現状打破出来ないと思い、大好きなテニスを再開することにしました。昨日テニスクラブで申込を済ませ、来年1月の中旬から再スタートとなりました。1年間の養生生活で運動神経が衰えているでしょうが、もうすぐ47歳の肉体に鞭打って、頑張って復活しようと思います。頸椎症を患っておられる皆様におかれましても、メンタルをやられないようポジティブシンキングでまいりましょう。私もそう自分に言い聞かせるつもりで、また週末のテニスが日常であった状態に戻ろうと決心しました。
ということで、関係者の皆様、今年は本当にお世話になりました。皆様におかれましては良いお年をお迎えになられますよう、心よりお祈り申し上げます。
12月 2013のアーカイブ
この一週間は激務だった。
最近は、仕事で事務所に午後10時くらいまでいることは少なくなったが、この一週間は久しぶりに激務だった。先週の金曜日から昨日までほとんど自宅に帰ったら午前2時くらいであったからである。こう書いている今もまだ緊張が続いている状況である。頸椎症の症状がひどくなって、仕事をセーブしているところはあったし、実際のところ午後7時くらいになると、左腕はだるくなるし、左親指や人差指などが痺れてくるので、もうやる気や根気、集中力がなくなって、ミスが多くなるのは避けられない。だから、ハードな仕事をセーブしていたというか、避けていたのかも知れない。
そんな体調のなかでの激務であったが、改めて、頸椎症のリバウンド症状もかなり軽くなってきたんじゃないかと思います。緊張感もあったから、あまり痺れ感などが感じられなかったかもしれませんが、正直一日15時間くらい同じ姿勢でPCに向かっている日が5日くらい続いたので、術後2カ月くらいの症状に逆戻りするんじゃないかと思っていた。
結論から言うと、こんな感じになってきている。
確かに、PCに向かっているときは左親指や人差指の痺れ感を強く感じるときはありますが、仕事が終わって帰宅するころにはそれほどでもない感じに戻っている。あと、薬の効き目(リリカ)を気にしている時期があったけど、つまり服用して8時間くらい経過すると痺れがひどくなっているときがあったけど、今は特に極端に薬の効用時間を気にしなくてよくなってきた。あと、以前にも書きましたが、事務所で仕事をしているときは格好悪いけど、写真のような状態で仕事をしている。これがなかなか地味に効果が実感できる。このネックピローなるものをしない時と比べると頸の疲労感が全然違うからである。私のようにPCに向かって長時間仕事をされる方には本当にお勧めします。皆さんも一度騙されたと思って試してみてください。頸椎カラーまで大袈裟でないので良いと思います。
【下の写真は事務所でネックピローを装着している筆者】
今年もあと2週間
「陸奥八仙」という純米吟醸の日本酒をいただいた。最近興味深いのは、息子たちが不思議そうな眼差しで酒を呑む私たちを見てくることである。ちょっと悪ふざけで、小学校二年生の二男坊に、この「陸奥八仙」の香りを嗅がせてみた。そうすると、意外にも「林檎のような香りで、飲んだらおそらく美味しいと思う。」という答えが返ってきた。日本酒ソムリエもびっくりの回答である。おそらく将来は肩を並べて呑めるほどの酒飲みに成長してくれるだろうと期待を新たにするのであった(笑)。
頸椎症に話題を移しますが、リリカを1回2錠から1錠に減らしてみて、様子をうかがっているが、大きく症状が悪化しないので症状は良くなってきているのではないかと思っている。気候が寒くなってきたのか、C5頸椎症の影響で痺れている人差指の付け根に関節痛のような症状があらわれて焦ったりしたけど、テーピングなんかを施し、大勢に影響なしと考えるようにしている。筋トレもほぼ毎日続けている。主治医等からリハビリというものは辛いものなんだと諭されてから、筋トレによるリバウンド症状の悪化も気にならなくなってきたからである。とにかく、リハビリは辛いんだろうとひたむきに頑張ろうと心に決めることにした。どちらかというと、C7よりC5の症状が気になるかもしれないが、日常生活には何ら問題ない水準なので、あまり気にしないようにしようと思う。経過はまた報告したい。
趣味のテニスをしなくなって1年が過ぎるが、最近では毎週近くの山へハイキングに行くことにしている。家族で登るハイキングは普段出来ない話などしながら行けるので、良いかもしれない。標高500mあまりであるが、山頂はなかなかの雰囲気がある。酒飲みの私はホットウィスキーを試そうと計画中である(笑)。シーバスの18年か響きの17年か、このどちらかを近々山頂で試そうと考えている(笑)。
Daryl Hall & John Oates
彼らの音楽を本格的に聴きだしたのは30歳を過ぎてからで、ファン歴は浅いかもしれない。とはいえ、一世を風靡したPrivate eyesやManeaterやI can’t go for thatなどの名曲は当然おさえてあった。特に彼らのライブパフォーマンスは本当に素晴らしい。2回ほど大阪公演に出向いているが、本当に素晴らしかった。妻と付き合っているときに無理やり誘って一緒に行ってもらったこともあった。何というか、ライブに行くと音楽そのものの楽しさが伝わってくる感じが良い。まあ、言葉悪く言うと、彼らの音楽バカ度合いが本当に伝わってくるという感じだろう。最近はライブにも行っていないが、最近ふと彼らのライブアルバムに触れる機会があり、とても良かったのでぜひ聴いてみて欲しい。「Live at the Troubadour」である。このライブハウス、あまり大きくない会場だと思うんだけど、結構有名なアーティストがライブをやっている。あまり詳しくないのでコメントしないけど、有名なライブハウスなんだろうか?キャロルキングなんかもライブをやっているみたい。とにかく、会場が狭いライブの録音なのでライブの臨場感が伝わってくるので良い。特に私のお気に入りはGetaway car」である。Darylもその紹介のときに自分でも気に入っている曲と、この曲を評している。
術後5カ月経過
昨日からリリカを1回2錠から1錠に減らしてみることにした。そうしないと薬で症状が抑えられているのか、自然治癒力で症状が治まっているのか分からないからである。まあ、またリバウンド症状がひどく出たらそのときは2錠に戻すとしよう。ところで、最近、ネックピローなるものを購入し、使用している。これがなかなか良い。PC作業などをするときの疲労度は30%くらいに抑えられているのではないだろうか?特に車の長時間運転なんかには頸椎症でない人でも有効である。疲労度が全然違う。なので、車には常備することにした。下は、そのネックピローと現在の創部の画像、傷は綺麗に治っている。
鍼灸の効果について(中間報告)
昨日で6回目の施術であったが、鍼が効いているという実感があるなという確信に近づいている気がする。回りくどい表現なのだが、1回目なんかは自分でも効いたか効いていないか分からなかったし、まあ総じて言うなら3、4回目までは効いたか効いてないか本当に分からなかったと断言できる。
しかし、5回目の施術のときは明らかに症状に変化があった。その日の夕方近くは指先の痺れが猛烈にひどく、指先が何かに触れるとピリッと痛むような症状にまでなっていて、これはきついなあと思っていた。その日にたまたま予約していたので施術してもらうと、鍼が終わったときにはその痺れが消えていたのである。頸の後ろの鈍痛もなくなっていた。回数を重ねるごとにメニューが若干変わるのだが、その日は頸の後ろに集中して鍼を打たれていた気がする。ちなみに、鍼を経験しておられない方のために、私の行っているところはどんなメニューであるか紹介させていただきます。まず、予約時間に行くと、待たされることはまずない。ここが病院と違うところかな。そして、個室でパンツ一丁にさせられる。これが恥ずかしい。若い女性スタッフ(鍼灸師のタマゴ)にそのパンツも半分くらいおろされ、タオルを上からかけられ、私の場合はうつ伏せで先生を待つ。この後、先生の慣れた手つきで頭の先からふくらはぎまで毎回50本くらいの鍼を打たれるのである。鍼を打たれている間は気持ち良いのかと勝手に想像していたが、それは間違いであった。ちょうどはりつけにされているかのごとく、体が自由に動かなくなるのである。正確には動くと全身に激痛が走るのである。打った鍼から激痛がはしります。知らずに普通に動こうとしたときは本当に痛かった。鍼の先に電極を付けて、そのまま10分くらい全身がピクピクしている。お灸も体にのせられている。このあと、吸い玉という、まあ「馬に噛まれたらこんな痛さなんだろうなあ」というガラス製の吸盤で汚血を吸い出すのだそうだ(これは肩と背中と腰を中心)。最後に整体のようなマッサージで終わり。全行程1時間くらいかな。まあ、こんな感じ。西洋医学に比べるとローテクであるが、これがなかなか効いているので不思議な感じである。
とにかく少し前進してきたような気がする。あとちょっとなんだけどなあ。必ずや100%完治してこのブログで報告したいと思っている。何故なら、自分の拙い日記なんだけど、そのうちの闘病記をご覧になっている方がおられるみたいだし、おそらく頸椎症を患っておられる方だちだと思うので、私が保存療法で15年、手術療法で1年?(まだ、途上のためクエスチョン)で完治しましたと、このブログで宣言すれば、何かの励みにはなるだろうと考えているからです。関係者諸君、ともに頑張ろうではないか!!
尾崎豊の音楽とモスキートーン
テレビで尾崎豊の特集をやっていた。彼の音楽性と生涯を彼の音楽で綴った番組であった。もうすぐ47歳になるが、ちょうど30年前に彼の音楽に衝撃を受けたことを憶えている。自分の過去の恥部を晒すような話しで気恥ずかしいが、高校3年生の学園祭でロックバンドとして演奏する予定であったが、前日に喫茶店で喫煙しているのを学校の教師に見つかり、三日間の停学をくらってしまった(笑)。当然、学園祭には出場出来ず、自宅で謹慎の身となってしまった。バンドメンバーに迷惑をかけた、、、とか学園祭に出られない、、、とかで、失意のどん底にいるときに友人がわざわざ私の自宅に一枚の
LPレコードを持ってきてくれた。それが尾崎豊の「十七歳の地図」であった。レコードに針を落とすと、A面一曲目の「街の風景」が流れてきた。大好きな曲である。すぐに停学中の身であることを忘れ、彼の音楽に陶酔していった。「I LOVE YOU」や「Seventeen’s map」や「Oh,My Little girl」など、彼の音楽がセンシティブな当時の私を圧倒していった。そしてB面最後の曲「僕が僕であるために」が終わる頃にはすっかり彼のファンになっていた気がする。彼は26歳という若さでこの世を去った。十代の気持ちを代弁していた自分自身が大人になっていくことの矛盾に耐えきれなかったのだろう、と私は今でもそう思っている。そんな彼の特集をテレビでやっていたが、47歳になろうとしている今、彼の曲が聴こえてきても懐かしさ以外に感じるものはなかったのが率直な感想である。
妻がモスキートーンというアプリをダウンロードして私に試そうとしてきた。歳をとるごとにある周波数の音が聞こえなくなってくることを測るアプリなんだとか。息子たちには聴こえる周波数の音が私には聞えなくなっていた。息子たちは音の聞こえない私を不思議そうに見つめながら、そして笑うのであった。ふと尾崎豊の音楽が連想された。そして、歳をとるごとに彼の音楽が聞こえなくなってしまった自分と重ね合わせてみるのであった。
カウザルギー
「外傷や手術の後に、傷は完治しているのに痛みやしびれが続く場合があり、反射性交感神経性ジストロフィーと呼びます。 神経が明らかに切断された後に、激しい痛みが続く場合をとくにカウザルギーと呼びます。 各種薬物療法、神経ブロック、リハビリテーションを行いますが、完治はなかなか困難らしいです。」とあります。
完治度は90%くらいなんですが、そこから進まず、リリカで疼痛等を抑えている状態で、筋トレなどをすると筋肉の張りなどがなく、ただただ痺れなどの症状がひどくなるだけですということを主治医に報告したら、カウザルギーではないかと言われてしまいました。これは受け入れがたい内容ですね。内容が違うかもしれないですが、アトピー性皮膚炎とか原因不明の疾患と言わざるを得ないですね。カオスという感じでしょうか。辛いですねえ。ただ、そもそもリハビリというものは自分の思うようにいかないものですということは主治医に言われてしまいました。その通りですね。リハビリというものは辛いものなんでしょうね。本気で経験したことがないのですが、筋トレのあとの疼痛にくじけそうになりますが、それにめげずに続けないといけないんでしょうね。とりあえず頑張ってみます。繰り返しますが、カウザルギーなんて診断されたら、何か悲しいだけですね。その時は、ギターを押し入れから取り出してきて、Blues for My dead left handを奏でるしかないですね(T_T)。
【注】ブログを見ていただいた方からメールをいただいたんですが、カウザルギーと診断されたわけではなく、あくまでメールで「カウザルギーじゃないか?」と書かれていただけです。誤解されるような表現にて失礼いたしました。