4月に雪の降るが如し

4月に入ってろくなことがなかった。熊本の地震の惨状を目の当たりにし、他人の不幸を横目に忙し
い毎日を過ごしていた矢先であった。また大好きなアーティストが天に召されて行った。あのマイケル
ジャクソンと並び評された希代のスーパースター、プリンスのことである。死因は明らかにされていな
いが、享年57歳であった。
 プリンスの音楽はいつも彼の人生を冒険たらしめるほど、刺激的で前衛的であったと思う。僕は何度
も彼の音楽に勇気づけられた。僕はよくアーティストが発表する作品を自分のそのときの心情と置き換
えて同化する癖があるのだが、プリンスの音楽はいつも僕を勇気づけてくれた。国家試験の受験生時代
は毎日が地獄のような日々で暗闇をさまようような毎日であり、今日精一杯生きたけど、明日こそ死の
うと毎日思っていたが、そんな弱気な僕を支えてくれたのがプリンスの音楽であったと思う。彼の音楽
は常に挑戦であったし、あの反骨心あふれる精神性がたまらなく好きであった。よく、プリンスのファ
ンは変わっていると言われていたが、僕もその類であろう。
 プリンスの音楽はセクシャルなパフォーマンスのダンスミュージックとカテゴライズされがちである
が、あまり皆が気づかない目立たない曲の中にこそ、彼の愛に殉じた精神性が色濃く特徴づけられた珠
玉の曲が多数含まれている。最後に、僕の好きなとても美しい曲を紹介して、このセンシティブな章を
終わりにしたい。

以前は、春が一番好きな季節だった。
恋人たちが雨の中で抱き合う季節。
でも今は、春になるとトレイシーの涙を思い浮かべるだけ。
でも、決して痛みのために泣いていたのでなく、
愛のために涙を浮かべていたんだろうって。
 
時々、天国の夢をみることがある。
彼は、そこでもう別の友人を見つけたんだろう。
4月の雪に答えを見つけたんだね。
いつか、僕もそこでまた彼に会えるんだろうね。
 
4月に雪の降ることがある。
とてもひどい気分にさせられる。
人生が永遠に続くと願ったこともあったけど、
良いことは長くは続かないみたいなんだね。  

さようならDAVID BOWIE

人はやっぱり死んでしまうんだ。今週明けに飛び込んできた彼の訃報を受けて、そうつぶやいた。本名David Robert Haywood Jones、享年69歳であった。ちなみに誕生日は1月8日なので、僕(1月9日)と一日違いであることが昔から少し嬉しかった。

彼との出会いは僕が中学生のころ。当時「The Game」で全米1位を獲得したロックグループQueenがベスト版をリリースするというので、喜び勇んでレコード屋に財布を握りしめ買いに行った。そのベスト盤の中に新曲が1曲含まれていたのだが、その曲がBowieとの共作「Under Pressure」だった。QueenのヴォーカルFreddie Mercuryとの掛け合いで曲を盛り上げていくのであるが、そのFreddieに負けず劣らずの存在感で、どちらかというと低音のセクシーボイスで圧倒する印象を受けた。「何者なんだ?」ここから僕のBowieの追っかけが始まってしまったのである。以来30年以上が過ぎた。
 大学時代の僕はサブカルチャーを是とする斜に構えた学生で、深夜遅くまで音楽、映画、哲学、文学など他愛もない議論をしながら、安酒を酌み交わし友人と過ごす、そんな毎日であった。その傍らでいつも流れていたのがBowieであった気がする。ロンドンへの貧乏旅行はBowieのブートレグを探すためにマニアックなレコード店巡りに終始した(笑)。MarqueeClub(ライブハウス)でロンドンのロッカーたちと酒を酌み交わしたのは良い思い出である。
 長年ファンであったが、彼ほどファンを振り回した(裏切った?)アーティストはいないのではないだろうか?ファン歴の長い人には共感してもらえると思うが、「Let’s Dance」は彼のキャリアの中でビッグセールスを記録するのであるが、私も含め「Let’s Dance」までのファンは、ここでふるい落とされた感があったと思う。その前作「Scary Monsters」と曲調が全然違うのである。それまでもそうであった、「Hunkydory」から「Ziggy Stardust」、「diamond dogs」では彼の真骨頂のグラムロック、その後何故かソウルフルな「Young Americans」を発表したかと思うと、今度はベルリンに制作拠点を移し、シンセを駆使した環境音楽のようなベルリン三部作を発表するなど、曲調がどんどん変化していった。決定的なのは「もう過去の楽曲は演らない。」と過去の楽曲を封印すると宣言し、Tin machineなる自身のバンドを結成し、その都度昔からのファンを振るい落としていたように思う。私も例外ではなく、都度失望し、一度は離れ、またしばらくして戻ってくるといったことを繰り返していた(笑)。でも、一貫していたのはロックスターとしての妖艶な美しさであり、格好よさであったと思う。僕もそこに憧れ
を抱いていたと思う。やっぱり好きなんですよね。Bowieのことが、、、。
本当にお別れなんですね。寂しいです。あなたほど僕を魅了し続けたロックスターはいませんでした。
シルエットや影が革命を見ている。もう天国の自由の階段はない。
さようなら、僕の永遠のロックスター。さようなら、David Bowie。                                     
   

Stingの新作とちょい鬱な僕。

新作といっても昨年リリースされた「The Last Ship」はEテレのTEDという番組で、その存在を知ってからの購入である。その番組で知ったのであるが、スティングは前作(2003年)から約10年間スランプに陥り、全く作品が書けなくなっていたらしい。その間、ライブアルバムや来日公演はあったので、TEDで話していたほどのスランプがあったとは、正直驚きであった。そのスランプを乗り越えて発表されたこのアルバムで彼の生い立ちを知ることになったが、亡き父との確執と生まれ故郷からの決別などが過去にあったことなどが作品に散りばめられている。イギリス北部の造船が盛んな町で生まれたスティングは、造船工であった父から造船工になることを勧められるのであるが、「父さんのような不幸になりたくない」と、故郷を捨て、現在があることを「Deadman’s boots(死者のブーツ)」という曲で告白している。
 この「Deadman’s boots(死者のブーツ)」という曲が非常に深い曲である。曲調は「おじいさんの古時計」のような感じで、わざと訛りのあるイングリッシュで歌っているようである。造船工は死者が出ないと工員の募集はなく、死者が出ていないところをスティングの父がわざわざ持ってきた就職話を一蹴したということを歌にしたのであろうか。私なりの解釈であるが、「Deadman’s boots(死者のブーツ)」は本来なら求人が出るのは死者が出た時、すなわち死者の履いていたブーツということになる。それだけではなく、無理やりこの俺にこのブーツを履かせるのであれば、生きる屍(Deadman)になれということだ、と憤りをあらわにしているとも言える。御歳63歳のスティングが何故今になって、父親との確執を歌にするのであろうか。しかも父との確執や故郷からの決別を歌にしようと決めた時、病人が嘔吐をするような感覚で曲が湧いて出てきたと表現していた。これには観客も苦笑いであったが、第三者には分からない彼のセンシティブなナイーブな一面が窺える秀作であると改めて感じました。
 かくいう私は来年で48歳になる。昨年の頸椎症の手術以来、いまだ指先の痺れと麻痺に若干ながら悩まされ、気力でカバーするも、最近元気が出ない日が多く、少し鬱ではないかなと感じることが多くなった。気力で平常心を保とうと思うが、先週は全く気力が出なかった。昨日は近くの山に登り、少し元気を取り戻したけど、最近元気の出ない私の心の糧がスティングの最新作なのでした。

Ed Sheeranを聴こう。

2年くらい前からファンになっているアーティストがいて、名前はEd Sheeranです。とにかく、歌唱力というか表現力が半端でない。まだ2枚しかアルバムは出ていないんだけど、いわゆるアルバム・アーティストといえる久しぶりの才能である。彼の特徴は美しいクィーンズイングリッシュで歌う英詞に加えて、時折り挟まれるラップが気持ちいい。久しぶりの天才の出現と称賛したい。どうぞ騙されたと思って聞いてみてください。ファーストアルバムも凄く良いが、最近リリースされたセカンドアルバムから、お薦めは「Thinking Out Loud 」です。どこかStevie Wonderのような抑揚の効いた歌唱は、おそらく彼の影響を受けていると思うのは私だけだろうか。Edの歌声を聴くと、グラスにもう一杯酒を注いでしまう、そんな魅力の持ち主なのだ。You Tubeで、この「Thinking Out Loud 」が聴けるので、ぜひ聴いてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=rp1DJL_SIys

マニアックな音楽ネタ(Prince編)

80年代後半から90年代前半にかけてのPrinceの音楽は、黒人の音楽をブラックコンテンポラリーと一纏めにしてしまう音楽評論家たちを吹き飛ばすほどの強烈な個性とアイデアと才能に溢れていたと思う。あの名盤「Purple Rain」は全米チャートを賑わしたが、その直後にリリースされた「Around The World In A Day」はそれまでのファンを裏切るくらい曲調が変わってしまい、「Purple Rain」までの既存のファンが離れてしまったかもしれないが、驚くべきはその曲調異なる2つのアルバムを同時並行で制作していたということ、その後も驚愕するほどのスピードでアルバムを制作していき、「Parade」、「Sing o’the time」、「Lovesexy」など、高校時代からのファンである私も追いつけないほどのスピードでリリースしていった。
 90年代前半も、1回のリリースにCD3枚とか4枚とかで新曲をリリースしていくため、とうとうレコード会社ともめてIndependenceなレーベルを立ち上げるも、レコード会社から契約で縛られ、それを不服として顔に「Slave」と書いて、レコード会社に反抗していたのを憶えている。とにかく稀代の天才であるけど、商業ベースにはのらないほどの創作意欲であったのかもしれない。前回、マイケルのところでも書いたけど、このPrinceのアウトテイクはブラックマーケットに流出していることは有名な話かもしれないが、本当にたくさんのBootlegが流出してしまっている。アーティストにとっては腹立たしいこと
かもしれない。私もアーティストにお金が入らないのは不本意なであるが、このBootlegの中に垂涎の名作があるのも事実で、一時期はそのコレクターになっていたこともあった。Miles Davisとの共作やMavis staplesとの共作など、一部正式にリリースされたものもあったけど、Bootlegのままのものもたくさん存在している。
 彼の本国アメリカのファンクラブに入っていたこともあったが、ある時ファンクラブからBootleggers are not fan(違法な音源を取り扱うものは私のファンではない)」というメールが届いた。どうして分かったんだろうと内心ドキッとしたけど、ファンクラブの人はくれぐれもそんな違法なものに手を染めないでねということだったんだろう。Princeは違法に自分のアウトテイクを売買する業者に腹を立てていて、訴訟というアクションまで起こしたのである。世に出ているPrinceのアウトテイクは1,000曲を超えているんではないだろうか?すごい才能である。アウトテイクの中にも本当にすごい良い曲がある。ここで紹介できないのは残念である。とにかく1日に1曲くらいのスピードで創作しているんではないかと思う。こんなエピソードがある。「Rave un2 the Joy Fantastic」発表当時のインタビューでアルバム中の曲についてインタビューを受けたときに、彼は10年前に作曲したから憶えていないとバッサリであった。アルバムを発表した直後のインタビューで10年前に制作したから憶えていないとは本当に凄い。こんなアーティストは他にいないのではないか?
 ちなみに、今はBootleggerではない。仕事柄、コンプライアンスには敏感であるからかもしれない。若気の至りとこの場を借りて殿下(Prince)にもお許しをいただきたい。
今回はとてもマニアックな音楽ネタでした。

Michael Jacksonの新譜?「Xscape」を聴く。

マイケルの新譜?なるものをとても複雑な気持ちで聴くことになった。新譜といっても、もう故人となってしまっており、要するに取り巻きが彼の膨大な未発表テイクをリリースしただけのことである。しかも彼に無断で、である。以前こんな話を聞いたことがある。Stevie Wonderは毎日1曲ずつ作曲しているそうだとか、、。彼のアルバムのリリースのインターバルが7,8年くらいとすると、単純計算で1年に300曲作曲するとして、7年間で約2,000曲を創作していることになる。この中からアーティストやプロデューサーの意向でアルバムに収まる10数曲が決まり、我々が耳にすることができることになる。ということは残りのアウトテイクはどうなるのかな?と考えてしまう。それでも世にリリースしたくなかったのだから、リリースしないで欲しいと彼に代わって主張したいが、しかしファンとしてはこのアウトテイクを聴いて、彼の人となりをもっと知ってみたいという衝動にかられるのである。このアウトテイクを違法なものにしたのがブートレグというものである。このブートレグの話はまた今度お話ししたい。
 マイケルのこのアウトテイク集なる「Xscape」はおとなしめの曲調が多い。時代背景など、どのアルバム発表時のアウトテイクなのか分からないが、アルバムのコンセプトがしっかりしていないこのアルバムは聴いていてとても悲しくなった。マイケルは自宅でピアノを弾き語りで曲を作ることもあるそうで、あの激しく踊りながら歌うマイケルとは一風違った姿を想像してしまう。ミックスでダンサブルな曲調に仕上がっているものもあるが、どちらかというとピアノの弾き語りのマイケルを想像しながら聴く感じのアルバムである。つくづく優しい子供のような人物だったんだろうなと改めて思いました。全編にLove&Peaceが溢れていました。

Michael Bubleになりたい。

 最近のお気に入りがMichael Bubleというカナダ出身の男性歌手である。とにかく「ええ声」の歌手である。オリジナルもあるが、ジャズのスタンダードから70年代から80年代のロックもこなし、とにかく歌声、歌唱法など私にとって現在進行形のアイドルである。
 最近、習い事に行きたいなと考えていて、色々ある中でヴォーカルを習いに行こうかなと考えている。何故なら、そもそも歌というのは習ってうまくなるのかという疑問もあるからである。自分で言うのもなんですが、歌は結構うまい方である(笑)。習うことでMichael Bubleに近づくことができるのか、これが最大のテーマである。特にオリジナルはBilly Paulというアーティストであるが、Michael Bubleバージョンの「Me and Mrs. Jones」がたまらなくセクシーであり、この歌をうたいこなせるのかが到達点なのである(笑)。
Me and Mrs. Jones
We got a thing a going on
We both know that it’s wrong
But it’s much too strong just to let it go now
We meet everyday at the same cafe
6:30 and no one knows she’ll be there
Holding hands, and making all kinds of plans
While the jukebox plays our favorite song
Me and Mrs., Mrs. Jones, Mrs. Jones, Mrs. Jones
We got a thing going on
Now Both know that it’s wrong
and But it’s much too strong to let it go

Daryl Hall & John Oates

彼らの音楽を本格的に聴きだしたのは30歳を過ぎてからで、ファン歴は浅いかもしれない。とはいえ、一世を風靡したPrivate eyesやManeaterやI can’t go for thatなどの名曲は当然おさえてあった。特に彼らのライブパフォーマンスは本当に素晴らしい。2回ほど大阪公演に出向いているが、本当に素晴らしかった。妻と付き合っているときに無理やり誘って一緒に行ってもらったこともあった。何というか、ライブに行くと音楽そのものの楽しさが伝わってくる感じが良い。まあ、言葉悪く言うと、彼らの音楽バカ度合いが本当に伝わってくるという感じだろう。最近はライブにも行っていないが、最近ふと彼らのライブアルバムに触れる機会があり、とても良かったのでぜひ聴いてみて欲しい。「Live at the Troubadour」である。このライブハウス、あまり大きくない会場だと思うんだけど、結構有名なアーティストがライブをやっている。あまり詳しくないのでコメントしないけど、有名なライブハウスなんだろうか?キャロルキングなんかもライブをやっているみたい。とにかく、会場が狭いライブの録音なのでライブの臨場感が伝わってくるので良い。特に私のお気に入りはGetaway car」である。Darylもその紹介のときに自分でも気に入っている曲と、この曲を評している。

尾崎豊の音楽とモスキートーン

テレビで尾崎豊の特集をやっていた。彼の音楽性と生涯を彼の音楽で綴った番組であった。もうすぐ47歳になるが、ちょうど30年前に彼の音楽に衝撃を受けたことを憶えている。自分の過去の恥部を晒すような話しで気恥ずかしいが、高校3年生の学園祭でロックバンドとして演奏する予定であったが、前日に喫茶店で喫煙しているのを学校の教師に見つかり、三日間の停学をくらってしまった(笑)。当然、学園祭には出場出来ず、自宅で謹慎の身となってしまった。バンドメンバーに迷惑をかけた、、、とか学園祭に出られない、、、とかで、失意のどん底にいるときに友人がわざわざ私の自宅に一枚の
LPレコードを持ってきてくれた。それが尾崎豊の「十七歳の地図」であった。レコードに針を落とすと、A面一曲目の「街の風景」が流れてきた。大好きな曲である。すぐに停学中の身であることを忘れ、彼の音楽に陶酔していった。「I LOVE YOU」や「Seventeen’s map」や「Oh,My Little girl」など、彼の音楽がセンシティブな当時の私を圧倒していった。そしてB面最後の曲「僕が僕であるために」が終わる頃にはすっかり彼のファンになっていた気がする。彼は26歳という若さでこの世を去った。十代の気持ちを代弁していた自分自身が大人になっていくことの矛盾に耐えきれなかったのだろう、と私は今でもそう思っている。そんな彼の特集をテレビでやっていたが、47歳になろうとしている今、彼の曲が聴こえてきても懐かしさ以外に感じるものはなかったのが率直な感想である。
 妻がモスキートーンというアプリをダウンロードして私に試そうとしてきた。歳をとるごとにある周波数の音が聞こえなくなってくることを測るアプリなんだとか。息子たちには聴こえる周波数の音が私には聞えなくなっていた。息子たちは音の聞こえない私を不思議そうに見つめながら、そして笑うのであった。ふと尾崎豊の音楽が連想された。そして、歳をとるごとに彼の音楽が聞こえなくなってしまった自分と重ね合わせてみるのであった。

I LOVE JOAN JETT

女性ボーカルは結構好きで聴くんだけど、なかでも女性のハードロックは大好きなカテゴリーであり、好んで聴いている。4 non Blondesとか、Sass Jordan(SASSはVAN HALENのボーカルに誘われたこともあるんだとか)とか、皆知らないでしょうが、結構かっこいいので良く聴いていた。まあ、昔ほどではないにしても、今でも大好きなのが、JOAN JETTである。彼女の音源が全部DAT(デジタルオーディオプレイヤー=ほとんど死語かもしれない)に保存していて、最近それが故障してしまったので、聴くすべがなくなり、彼女の全CDアルバムをすべて買い直してしまった。大人買いというやつである。初期のころで有名なやつが、I LOVE ROCK’N’ROLLである。あれだけ、ギターが似合う女子は世界中探しても他にはいないだろうと思っている。今月末にニューアルバムがリリースされる。何年かぶりのはずである。今から楽しみである。お薦めは以下の通りである。ぜひ聴いてほしい。

Joan Jett