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誕生日を過ぎて

今年は自分の誕生日の直後にDAVID BOWIEの訃報を受けて、とても悲しかったのですが、そんな私も49歳となり、とうとう50歳へのファイナルカウントダウンとなってしまった。50歳といえば、江戸時代なら天寿を全うする年齢かもしれないのに、医学の進歩なのか生活環境が改善されたのか、現代人は長寿傾向にあるかもしれない。私は40歳を節目に健康年齢というのを意識し始めて、持病の頸椎症などに真剣に向き合うと決心したり、体力や筋力の維持などいろいろ心がけてきた。2年半前に受けた頸椎症の手術のおかげで頸部の痛みは消滅したのだが、術後の後遺症ともいうべきか、左手
の人差し指と親指のしびれがまだ残っている。
 ブログには何度も書いたが、本当に神経を患うと大変だなあと改めて感じる。症状が神出鬼没なのだ。12月は何故か術前に頻繁に起きた左腕上腕の筋肉がピクピクと痙攣する症状が出て非常に不愉快な毎日だった。ペインクリニックも11月末を最後に行っていないが、最近の周期は2カ月なので、この2カ月を過ぎると、また何らかの症状が出たりする。このペインクリニックからも卒業したいと思っているのだが。
 ところで、今年の妻からの誕生日プレゼントは昨年の磁気ネックレスと似ているが、ファイテンのチタンネックレスであった。私が希望したのであるが、頸椎症の後遺症に対して何らかの効果を期待してのことである。でもファッション性を考慮して、フィギュアスケートの羽生結弦モデルにしてもらった。肝心の効果であるが、先月の筋肉の痙攣は何故か起きていない。あと、痺れが若干きめ細かくなった気がする。この日本語表現は経験者にしか分からないと思いますが、術後すぐはもっと荒く痺れていて麻痺もあったが、指の輪郭感がほぼ健常時に戻っていると思う。効果の因果関係は分からないが、もう施す術はないので、このくらいのことしかできないのも確かなのである。

さようならDAVID BOWIE

人はやっぱり死んでしまうんだ。今週明けに飛び込んできた彼の訃報を受けて、そうつぶやいた。本名David Robert Haywood Jones、享年69歳であった。ちなみに誕生日は1月8日なので、僕(1月9日)と一日違いであることが昔から少し嬉しかった。

彼との出会いは僕が中学生のころ。当時「The Game」で全米1位を獲得したロックグループQueenがベスト版をリリースするというので、喜び勇んでレコード屋に財布を握りしめ買いに行った。そのベスト盤の中に新曲が1曲含まれていたのだが、その曲がBowieとの共作「Under Pressure」だった。QueenのヴォーカルFreddie Mercuryとの掛け合いで曲を盛り上げていくのであるが、そのFreddieに負けず劣らずの存在感で、どちらかというと低音のセクシーボイスで圧倒する印象を受けた。「何者なんだ?」ここから僕のBowieの追っかけが始まってしまったのである。以来30年以上が過ぎた。
 大学時代の僕はサブカルチャーを是とする斜に構えた学生で、深夜遅くまで音楽、映画、哲学、文学など他愛もない議論をしながら、安酒を酌み交わし友人と過ごす、そんな毎日であった。その傍らでいつも流れていたのがBowieであった気がする。ロンドンへの貧乏旅行はBowieのブートレグを探すためにマニアックなレコード店巡りに終始した(笑)。MarqueeClub(ライブハウス)でロンドンのロッカーたちと酒を酌み交わしたのは良い思い出である。
 長年ファンであったが、彼ほどファンを振り回した(裏切った?)アーティストはいないのではないだろうか?ファン歴の長い人には共感してもらえると思うが、「Let’s Dance」は彼のキャリアの中でビッグセールスを記録するのであるが、私も含め「Let’s Dance」までのファンは、ここでふるい落とされた感があったと思う。その前作「Scary Monsters」と曲調が全然違うのである。それまでもそうであった、「Hunkydory」から「Ziggy Stardust」、「diamond dogs」では彼の真骨頂のグラムロック、その後何故かソウルフルな「Young Americans」を発表したかと思うと、今度はベルリンに制作拠点を移し、シンセを駆使した環境音楽のようなベルリン三部作を発表するなど、曲調がどんどん変化していった。決定的なのは「もう過去の楽曲は演らない。」と過去の楽曲を封印すると宣言し、Tin machineなる自身のバンドを結成し、その都度昔からのファンを振るい落としていたように思う。私も例外ではなく、都度失望し、一度は離れ、またしばらくして戻ってくるといったことを繰り返していた(笑)。でも、一貫していたのはロックスターとしての妖艶な美しさであり、格好よさであったと思う。僕もそこに憧れ
を抱いていたと思う。やっぱり好きなんですよね。Bowieのことが、、、。
本当にお別れなんですね。寂しいです。あなたほど僕を魅了し続けたロックスターはいませんでした。
シルエットや影が革命を見ている。もう天国の自由の階段はない。
さようなら、僕の永遠のロックスター。さようなら、David Bowie。                                     
   

日本酒版ニコラシカ

皆さんは「ニコラシカ」というブランデーの飲み方をご存じだろうか?カクテルの一種なのだろうが、私なりに解釈すると、ブランデーの飲み方にカテゴライズするのではないかと思います。レモンスライスに角砂糖を用意し、私の場合、まずレモンスライスを口に頬張り、続いて角砂糖を口の中に入れる。口の中が渋甘い感じになった状態で、ショットグラスに入ったブランデーをストレートでクィッと一気に飲み干すのである。私にとっては青春の味である。ただ、私の場合は、これをジンで行う。若干アレンジがあるが、レモンスライスはそのままだが、角砂糖は黒砂糖の塊を使用し、ジンはタンカレーかボンベイサファイアで、いずれにしても冷凍庫に保管したトローんとなっているキンキンに冷えたものを使う。もう最高の飲み方で、一気にGO TO HEAVENである。友人とこのジン版のニコラシカを語らいながら楽しんだものである。まさに青春のニコラシカである。
 ところで、最近になって、日本酒版のニコラシカを発見した。というか、よくこの飲み方で妻と晩酌を楽しんでいる。ブランデーやジンのような強烈な感じではなく、まさに日本酒が引き立つ飲み方ではないかと自負するところである。こんな飲み方がすでにあるとするなら、第一人者ではないかもしれないが、ひょっとしたら日本では私が第一人者ではないだろうかと思っている(笑)。肝心の飲み方であるが、干し柿(出来れば市田柿)にクリームチーズをのせたものを口に頬張り、その口になった状態で冷たく冷えた日本酒を飲み干すのである。写真は今お気に入りの風の森(純米吟醸)である。少し微発泡の日本酒で、一番このニコラシカに相性が良いお酒である。どうぞ、騙されたと思ってお試しあれ。

Jpeg

初めてのフルオーダースーツ

50歳(ちなみに来年49歳)を目前にして、目標にしていた事があって、それは何かというと、テ
ーラーでフルオーダースーツを作ってもらうことであった。憧れのゼニアのスリーピーススーツであ
る。そして今日、それが実現したのである(嬉)。大袈裟と思われるかもしれないが、スーツなんて消
耗品だし、そんなものに20万円も30万円もかけるなんて出来ないと思っていた。しかし、私の体型
は特殊な体型なので、今まで体にフィットしたものをあまり着ることが出来なかったから、スーツ姿も
見る人が見れば、恰好悪く映っていたかもしれない。185cmで70kgくらいなので、いわゆるノ
ッポさん、恵まれた体型と言っていただけるが、首が細くて手足が長いから、首に合わせれば、袖が短
く、手の長さに合わせれば首が苦しく、ウェストに合わせれば裾が短くと、どうしようもなかった。余
談であるが、ジーンズなんて裾上げしてもらったことは一度もないし、下手すると裾が短くて購入を断
念ということもあったくらいである。こんな経験から、既製服に碌な想い出がなかったのである。フル
オーダーは私のために職人が作ってくれる世界に一つのものなので、初めて自分の体に合う洋服を着る
ことになるのであるから、今から出来上がりが楽しみである。
 採寸のとき、2人かかりでよってたかって私の体を前から後ろから横から斜めから写真を撮り、仮の
スーツを着させて、メジャーで測るのであるが、2人の会話から聞き取れるのが、右肩が少し下がって
いるとか、左腕の方が少し長いとか、胸の形は良いとか、こむらが張っているとか、他にも色々なこと
を言っていたが、長年の姿勢の悪さからなのだろうが、体の筋肉の付き方で当然シンメトリーでなく、
歪んでいるんだろうなというのが分かった。頸椎症を患うきっかけにこの姿勢の悪さが影響しているん
だろうけど、ここ(テーラー)では、そんなことを注意しているのではなく、右肩が下がっているか
ら、そこにパットを入れましょうとか、左腕が5mm長いから調整しましょうとか、要はスーツの着姿
を洋服側で調整することだけを考えているのである。当たり前の話しなんだけど、テーラーさんは姿勢
を正しなさいと言っているのではないから、余計に凹んでしまいました。
 最後に、お世辞なんだろうけど、「お客様は、洋服がとてもお似合いの体型なんですよ。」とお褒め
の言葉を頂いた。この歳になって、そんな単純なお褒めの言葉を賜り、とてもうれしい気持ちになっ
て、店をあとにするひーちゃんなのであった。(おしまい)。

開けられないでいる「完治ワイン」

久しぶりに経過報告。タイトルにもしたんだけど、100%完治したら開けようと思って購入しているカリフォルニアの高級ワインが未だ開けられないでいる。完治という定義をどう考えたら良いのだろう。闘病記を書くきっかけとなったのは、ネットによる情報がきっかけで手術の方法が影響したり、心
の支えになったりと、大きく自分の意思決定に資することになったことへの恩返しなんだけど、「完
治」と宣言すると、嘘になるのか、それともこんなところで完治なのか非常に悩ましい。
 平成25年の6月に手術を受けたから、術後2年半が経過している。現在の状況はというと、最後ま
で残っている親指と人差し指の軽い痺れ感である。術前は筋力の著しい低下と指先の麻痺感、痺れがあ
ったが、現在は筋力はほぼ回復していると言って良い。ただ、一度細くなった腕はなかなか元には戻ら
ないみたいで、現在も諦めず筋トレを欠かさない日々である。と言っても術後の張りのない上腕に比べ
ると、だいぶ回復したと思います。ただ、筋肉を太くしようと思ったら、スポーツジムなどに行った方
が良いんだろうけど、そこまでのことは行わず、家で5kgのダンベルを使って筋トレを行う程度であ
る。術後すぐは、左腕だけで5kgのダンベルを持ち上げられなかったのが、今では5kgのダンベル
を30回×3セット持ち上げられるようになっているので、日常生活にはほとんど支障はない。指先の
麻痺感はほぼ完治したと思う。若干の痺れが残っているので、麻痺なのか痺れなのか区別しづらいんだ
けど、鋭利なもので刺すと結構痛いから(術後はあまり感じなかった)、ここは回復したんだと思う。
 この若干の痺れ感を残して完治と宣言して良いか否かの判断がつかないでいる。あと、3カ月に1回
であるが、ペインクリニックに行っていることも完治と出来ない要因かもしれない。PCに長時間向か
う姿勢での仕事さえなければ、痺れも気にならない程度だが、やっぱりこの姿勢が頸に良くないんでし
ょうね。
 と、こんな感じです。しかし、近いうちに完治と宣言したい。ヘルニア仲間のみなさんも完治を信じ
て、頸に悪い姿勢を避け、メンタルやられないよう筋トレに精進されたし。