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追悼。水木しげる先生。

 多少不謹慎な書き出しかもしれないが、普段は作家先生など一線でご活躍された方がお亡くなりになっても、「人生を全うされたんですね。」という単なる訃報としてしか感じないのだが、今日は通勤の電車の中で水木しげる先生の評を記事で読んでいると、何故か涙が溢れてきた。
 水木しげる先生の「幸福の7カ条」の第7条「目に見えない世界を信じる」という言葉は先生の人生観を表していると思います。自身の戦争体験で生死をさまよったことも影響しているのだろうが、精神世界を生きた方なんだろうなと思う。精霊崇拝とでもいうべきなんだろうか、私もそういう気持ちがあって、人生長くやっていると、どうしようもなく落ち込むときや、自分の努力ではどうにも出来ないときなど、私はふと山や川が恋しくなって、おもむろに出かけるのであるが、それは精霊たちに会いに行くとでもいう感じかもしれない。何だろう、力を抜けば力が出てくるといった、自身の驕りを反省、修正していくときに精神世界に入っていくというのは皆が経験することなんじゃないだろうか。代表作「ゲゲゲの鬼太郎」の挿入歌は先生自らの作詞であるが、1番のサビ「おばけにゃ学校も試験も何にもない」、2番のサビ「おばけにゃ会社も仕事も何にもない」、3番のサビ「おばけは死なない、病気も何にもない」は特に印象的で、生きていることは苦である(もちろんそれだけではないことは分かっているが)と人間社会をシニカルに評しているんだろうが、子どもの頃、僕はその歌を逆に怖がっていたことを憶えている。子供だから仕方ないかもしれないけど、「人間は死んだら何処に行くんだろう。」と恐怖したこともあった(笑)。試験も勉強も仕事もないなんて、そしたら死んだらただの暗闇をさまようだけなのかなあ、なんて真剣に考えたりしたんです。第3条は沁みました。「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。」そうですよね。考えを改めます。明日からも頑張ります。水木先生、どうもありがとうございました。

紀伊半島一周ツアー

 昨年は行けずにいたので、今年は3泊4日で紀伊半島一周ツアーを敢行した。天候には恵まれないかと思っていたが、結果的には毎日晴れて、とても良い旅行となった。
 1日目は「銚子川」、三重県を代表するといっても良いくらいの清流で、今年も銚子ブルーを堪能した。TV番組でも紹介されたことがあったが、晴れた日などにゴムボートで浮いていると、空中に浮いているような写真が撮れたりするほど水の透明度が高い。

2日目は「古座川」、和歌山県には他にもたくさんの清流があるが、ここは私のお気にいりの場所である。とういうことで今年も行って来ました。いつものように、泳いで、小魚釣りをして、川岸でちょっとしたBBQをして、ビールを飲んで至極の時間を過ごした
3日目は、清流ではなく、白浜に立ち寄った。実はあまり好きな場所ではない(笑)。一級の観光地なんだろうが、外国人も多く居て、落ち着かないし、コストパフォーマンスは低いと思います。結構立派な温泉旅館に泊まったが、リピートはしないだろう。普段、時間に追われている毎日だから、時間がゆっくりと過ぎる田舎が好きなので、これでは旅情も感じることは出来ない。
 ということで、車での総走行距離は700kmとなり、高知県の四万十川に車で行ったのには及ばないが、結構な距離を走った今回のツアーでした。ところで、ドライブのお供に必須のアイテムがネックカラーです。頸椎症を自覚する前は、いつも旅行先で寝違いになったりして、旅行の半分くらい頸痛を我慢していたんですが、車に常備しているのが、これです(写真)。全体がネット状になっていて、夏でも風通しがよく、暑さは感じないし、運転の疲れが激減しますので、ぜひ試して欲しい。車の運転がどれだけ頸に悪いかが実感できます。高速で走っているときの頸の緊張度合いは半端ではないことが本
当に実感できます。ただ、あまりに楽なので長距離運転は眠くなることがありますので、助手席の人は適時、運転手に話しかけるようにしましょう(笑)。 今回はこの辺で。

又吉先生の作品を読んだ。

普段あまりTVを観ないのだが、関西人ということもあり、お笑いは大好きであり、ニュース以外にたまに見るとすれば、芸人の出演している番組である。若手の芸人のなかで気になっていたのが又吉直樹氏であった。TVに出ていても、特に積極的に面白いことを言うわけではないが、彼の風貌を見ると何故か笑ってしまうのであった。どちらかというと、彼は笑わせているのではなく、笑われているのかもしれない(彼には大変失礼なのであるが)が、いじられキャラは芸人にとっては重要なキャラであることに変わりはないであろう。先頃、芥川賞を受賞した彼であるが、処女作で受賞というのは本当に才能
があるのであろう。ただ、今回読ませていただいたのは「火花」ではなく、「第2図書係補佐」という作品である。書評のようなエッセイ集であるが、とても面白く読ませていただいた。また、彼のお笑いの才能は、「話し言葉」ではなく、「書き言葉」に由来するのだと改めて感じたのである。
  しばらく文学から遠ざかっていたのは、仕事柄、法律や会計などの専門書ばかり読まされるため、活字には本当に嫌気がさしていたからかもしれない。仕事上の愚痴を言うとすれば、最近の専門書の文章は英文を直訳したような変な日本語が多く、内容も難しいうえに表現が日本語的ではないので、本当に不愉快に感じていたのだが、そんな専門書とは全く違い、又吉氏の作品は思春期の頃に現実から逃避するために逃げ込んだ作品たちと同じ匂いを少し感じました。文学的、叙情的な表現があり、懐かしくも感じてしまったのである。又吉氏は作品の中で、思春期に読んだ作品でも、大人になってもう一度読み直してみると、違った印象を受けたりすると書いてあった。私も少しそういうことを期待しながら、しばらく文学青年(?)に戻ってみようと思う今日この頃なのでした。

自閉症スペクトラム障害(ASD)

長男坊に付いた病名である。このことについて、書こうかどうか悩んでいたが、闘病記をブログにしようと考えた動機と同じで、この地球上のどこかで誰かに共感してもらえるならと思い、書くことを決意した。

 病気というと非常に暗いイメージがあるし、長男坊の外見からはとてもそれを窺うことは出来ない。何故なら普通にしていると、健常児と変わらない風貌だからであるし、私に似て、福山正治似のイケメンだからである(笑)。まあ、私に似ているとは言い過ぎたが、福山正治に似ているのは親のひいき目でないことを申し添えておきます。ところで、息子は社会的には精神病患者にカテゴライズされるらしい。何故、社会的には、という表現をするかというと、「身体障害者手帳」なるものを交付してもらったからである。「してもらったから」というと語弊があるかもしれないので、ここは詳しく説明を加えると、生まれつき四肢に障害がある場合など、例えば明らかに歩行が困難な場合、社会からこの人は障害があるということを認知されやすいが、息子のように精神に異常がある場合(文字にすると非常に辛いのであるが、あえてこう表現すると)、他人(社会)からはそのことを認知されにくいのである。このため、学校という社会生活を営む上で非常にハンディとなるから、放っておけばいじめられることは必至であったろうし、教師からも理解を得られなかったと思うのである。そこで、長男坊が小学校を卒業する今年の3月前に医師に診断書を書いてもらい、行政から身体障害者手帳なるものを交付してもらったのである。つまり、このような障害があることを中学校に手帳を提示して理解を求めてもらいにいったのであった。この決断が正しいかどうかは本当に分からないが、我々夫婦の決断であることに間違いはない。
 自閉症スペクトラム障害(ASD)は0.6%程度の割合で存在するらしい。1000人いると6人くらいがそうだとすると、結構な割合で存在することになる。また、程度には非常に差があって、重度になると重い知的障害を伴うことになるが、長男坊の場合、比較的症状は軽いかもしれないが、コミュニケーション能力は非常に低いし、知能指数は低いんだと思う。でも、重度の知的障害かというとそうでもないのである。要するに中途半端な状態なんだと思う。よその親御さんによっては、「うちの息子は身体障害者なんかではない。」と否定される方が多いかもしれない。我々も肯定したくなかったが、敢えてその道を選んだのである。すなわち、あくまで申告制だから、申告しなければ、障害者手帳なるものは交付されないということである。ちなみに、同じような手帳で「療育手帳」というものがある。これには該当しなかったようである。該当しなかったので、それ以上は調べなかったが、もう少し重度な症状に適用されているようである。
 身体障害者手帳なるものが届いたときは、正直辛かった。手帳の写真に収まった息子が何故か囚われの身になったような悲しい気分になった。妻は私よりきつかったと思う。女性はお腹を痛めて生んだ子だという意識があり、私よりも息子を不憫に思ったに違いない。祖母にあたる私の母は、身体障害者手帳の交付の事実を電話で伝えると、電話の向こうで泣いているのが分かった。母の夫、すなわち私の父は母と結婚をし、ちょうど私が母のお腹の中にいるときに交通事故の被害者となり、それ以来、身体障害者である。夫が身体障害者であるがゆえにその不憫さを人一倍知っているから、孫の不憫さを感じずにはいられなかったのかも知れない。
 このように告白めいて書いているが、我が家は極めて前向きで明るい家庭である。身体障害者手帳は我々からの息子への後方支援であると思っている。中学校入学の一日前、家族会議を開いた(というか、中学入学おめでとうパーティである。)のだが、その席で私は息子に向けてこう言い聞かせた。「お前は、自閉症スペクトラム障害という病気で、そのために言葉が話しづらかったりするんだけど、明日の入学式のあとの自己紹介のときに「僕は自閉症スペクトラム障害なんです。格好いいでしょ。」とギャグを言ってみたらどうか?」と。入学式の日の夕食のときに、そのように自己紹介したと息子が言ったときは本当に驚いたのである。「格好いいでしょ?」とまでは言わなかったらしいが、担任の先生から電話があり、息子が自己紹介で自分の病状を皆に伝え、理解を求めていたことに感動しましたと伝えられた。語彙力が乏しいゆえに、自閉症スペクトラム障害という言葉のネガティブさに気づいていないのだけれど、とにかく波乱含みの長男坊の中学校生活が始まったのである。
 この2カ月間は、頸椎症どころではなかった。症状はほぼ足踏み状態ですが、快方に向かっているという気はしています。とにかく、気力で完治しなければならない。学校のことや精神科とのやりとりで、この2カ月、妻には精神的負担をかけたことであろう。私も改めて覚悟しているが、このことは妻にも言い聞かせてある。「老後は3人と思っておこう。」と。

久しぶりにペインクリニックに行ってきました。

最近、あまり報告することはなくなってきているのですが、「No news is good news」かといえば、必ずしもそうではなくて、「Not so good」という感じです。私の症状は大きく分けて、C6-C7の神経の炎症等に起因する指先の「痺れ」と「麻痺」なのですが、このうち、「麻痺(感覚)」はほぼ完治していると実感しています。ただ、「痺れ」というのが、本当にしつこく私を苦しめております。頸椎症に特有のJackson test signなどの症状は全くなくなったので、これは手術の成果だと思いますが、術後に現れた「痺れ」がなかなかとれませんねえ。なので、「痛み」というよりは「不快さ」に苦しめられております。
 意識してリリカなどを服用しないできたのですが、最近になって、1日1錠リリカを服用するようになっています。といっても、再開してまだ1週間なのですが、、、。
ペインクリニックもブロックの効果がどのくらいあるのかを試そうと、2か月ほど意識して期間を開けてみました。そのせいかもしれないのですが、やはり痺れが気になりだしたので、昨日ペインクリニックに行った次第です。4月は繁忙期なので、一日1錠のリリカと1カ月に1回のペインクリニックで気長に耐えがたきを耐えようと思います。ということで、あまりパッとしたgood newsではありませんね。