初めてのフルオーダースーツ

50歳(ちなみに来年49歳)を目前にして、目標にしていた事があって、それは何かというと、テ
ーラーでフルオーダースーツを作ってもらうことであった。憧れのゼニアのスリーピーススーツであ
る。そして今日、それが実現したのである(嬉)。大袈裟と思われるかもしれないが、スーツなんて消
耗品だし、そんなものに20万円も30万円もかけるなんて出来ないと思っていた。しかし、私の体型
は特殊な体型なので、今まで体にフィットしたものをあまり着ることが出来なかったから、スーツ姿も
見る人が見れば、恰好悪く映っていたかもしれない。185cmで70kgくらいなので、いわゆるノ
ッポさん、恵まれた体型と言っていただけるが、首が細くて手足が長いから、首に合わせれば、袖が短
く、手の長さに合わせれば首が苦しく、ウェストに合わせれば裾が短くと、どうしようもなかった。余
談であるが、ジーンズなんて裾上げしてもらったことは一度もないし、下手すると裾が短くて購入を断
念ということもあったくらいである。こんな経験から、既製服に碌な想い出がなかったのである。フル
オーダーは私のために職人が作ってくれる世界に一つのものなので、初めて自分の体に合う洋服を着る
ことになるのであるから、今から出来上がりが楽しみである。
 採寸のとき、2人かかりでよってたかって私の体を前から後ろから横から斜めから写真を撮り、仮の
スーツを着させて、メジャーで測るのであるが、2人の会話から聞き取れるのが、右肩が少し下がって
いるとか、左腕の方が少し長いとか、胸の形は良いとか、こむらが張っているとか、他にも色々なこと
を言っていたが、長年の姿勢の悪さからなのだろうが、体の筋肉の付き方で当然シンメトリーでなく、
歪んでいるんだろうなというのが分かった。頸椎症を患うきっかけにこの姿勢の悪さが影響しているん
だろうけど、ここ(テーラー)では、そんなことを注意しているのではなく、右肩が下がっているか
ら、そこにパットを入れましょうとか、左腕が5mm長いから調整しましょうとか、要はスーツの着姿
を洋服側で調整することだけを考えているのである。当たり前の話しなんだけど、テーラーさんは姿勢
を正しなさいと言っているのではないから、余計に凹んでしまいました。
 最後に、お世辞なんだろうけど、「お客様は、洋服がとてもお似合いの体型なんですよ。」とお褒め
の言葉を頂いた。この歳になって、そんな単純なお褒めの言葉を賜り、とてもうれしい気持ちになっ
て、店をあとにするひーちゃんなのであった。(おしまい)。

追悼。水木しげる先生。

 多少不謹慎な書き出しかもしれないが、普段は作家先生など一線でご活躍された方がお亡くなりになっても、「人生を全うされたんですね。」という単なる訃報としてしか感じないのだが、今日は通勤の電車の中で水木しげる先生の評を記事で読んでいると、何故か涙が溢れてきた。
 水木しげる先生の「幸福の7カ条」の第7条「目に見えない世界を信じる」という言葉は先生の人生観を表していると思います。自身の戦争体験で生死をさまよったことも影響しているのだろうが、精神世界を生きた方なんだろうなと思う。精霊崇拝とでもいうべきなんだろうか、私もそういう気持ちがあって、人生長くやっていると、どうしようもなく落ち込むときや、自分の努力ではどうにも出来ないときなど、私はふと山や川が恋しくなって、おもむろに出かけるのであるが、それは精霊たちに会いに行くとでもいう感じかもしれない。何だろう、力を抜けば力が出てくるといった、自身の驕りを反省、修正していくときに精神世界に入っていくというのは皆が経験することなんじゃないだろうか。代表作「ゲゲゲの鬼太郎」の挿入歌は先生自らの作詞であるが、1番のサビ「おばけにゃ学校も試験も何にもない」、2番のサビ「おばけにゃ会社も仕事も何にもない」、3番のサビ「おばけは死なない、病気も何にもない」は特に印象的で、生きていることは苦である(もちろんそれだけではないことは分かっているが)と人間社会をシニカルに評しているんだろうが、子どもの頃、僕はその歌を逆に怖がっていたことを憶えている。子供だから仕方ないかもしれないけど、「人間は死んだら何処に行くんだろう。」と恐怖したこともあった(笑)。試験も勉強も仕事もないなんて、そしたら死んだらただの暗闇をさまようだけなのかなあ、なんて真剣に考えたりしたんです。第3条は沁みました。「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。」そうですよね。考えを改めます。明日からも頑張ります。水木先生、どうもありがとうございました。

紀伊半島一周ツアー

 昨年は行けずにいたので、今年は3泊4日で紀伊半島一周ツアーを敢行した。天候には恵まれないかと思っていたが、結果的には毎日晴れて、とても良い旅行となった。
 1日目は「銚子川」、三重県を代表するといっても良いくらいの清流で、今年も銚子ブルーを堪能した。TV番組でも紹介されたことがあったが、晴れた日などにゴムボートで浮いていると、空中に浮いているような写真が撮れたりするほど水の透明度が高い。

2日目は「古座川」、和歌山県には他にもたくさんの清流があるが、ここは私のお気にいりの場所である。とういうことで今年も行って来ました。いつものように、泳いで、小魚釣りをして、川岸でちょっとしたBBQをして、ビールを飲んで至極の時間を過ごした
3日目は、清流ではなく、白浜に立ち寄った。実はあまり好きな場所ではない(笑)。一級の観光地なんだろうが、外国人も多く居て、落ち着かないし、コストパフォーマンスは低いと思います。結構立派な温泉旅館に泊まったが、リピートはしないだろう。普段、時間に追われている毎日だから、時間がゆっくりと過ぎる田舎が好きなので、これでは旅情も感じることは出来ない。
 ということで、車での総走行距離は700kmとなり、高知県の四万十川に車で行ったのには及ばないが、結構な距離を走った今回のツアーでした。ところで、ドライブのお供に必須のアイテムがネックカラーです。頸椎症を自覚する前は、いつも旅行先で寝違いになったりして、旅行の半分くらい頸痛を我慢していたんですが、車に常備しているのが、これです(写真)。全体がネット状になっていて、夏でも風通しがよく、暑さは感じないし、運転の疲れが激減しますので、ぜひ試して欲しい。車の運転がどれだけ頸に悪いかが実感できます。高速で走っているときの頸の緊張度合いは半端ではないことが本
当に実感できます。ただ、あまりに楽なので長距離運転は眠くなることがありますので、助手席の人は適時、運転手に話しかけるようにしましょう(笑)。 今回はこの辺で。

又吉先生の作品を読んだ。

普段あまりTVを観ないのだが、関西人ということもあり、お笑いは大好きであり、ニュース以外にたまに見るとすれば、芸人の出演している番組である。若手の芸人のなかで気になっていたのが又吉直樹氏であった。TVに出ていても、特に積極的に面白いことを言うわけではないが、彼の風貌を見ると何故か笑ってしまうのであった。どちらかというと、彼は笑わせているのではなく、笑われているのかもしれない(彼には大変失礼なのであるが)が、いじられキャラは芸人にとっては重要なキャラであることに変わりはないであろう。先頃、芥川賞を受賞した彼であるが、処女作で受賞というのは本当に才能
があるのであろう。ただ、今回読ませていただいたのは「火花」ではなく、「第2図書係補佐」という作品である。書評のようなエッセイ集であるが、とても面白く読ませていただいた。また、彼のお笑いの才能は、「話し言葉」ではなく、「書き言葉」に由来するのだと改めて感じたのである。
  しばらく文学から遠ざかっていたのは、仕事柄、法律や会計などの専門書ばかり読まされるため、活字には本当に嫌気がさしていたからかもしれない。仕事上の愚痴を言うとすれば、最近の専門書の文章は英文を直訳したような変な日本語が多く、内容も難しいうえに表現が日本語的ではないので、本当に不愉快に感じていたのだが、そんな専門書とは全く違い、又吉氏の作品は思春期の頃に現実から逃避するために逃げ込んだ作品たちと同じ匂いを少し感じました。文学的、叙情的な表現があり、懐かしくも感じてしまったのである。又吉氏は作品の中で、思春期に読んだ作品でも、大人になってもう一度読み直してみると、違った印象を受けたりすると書いてあった。私も少しそういうことを期待しながら、しばらく文学青年(?)に戻ってみようと思う今日この頃なのでした。

自閉症スペクトラム障害(ASD)

長男坊に付いた病名である。このことについて、書こうかどうか悩んでいたが、闘病記をブログにしようと考えた動機と同じで、この地球上のどこかで誰かに共感してもらえるならと思い、書くことを決意した。

 病気というと非常に暗いイメージがあるし、長男坊の外見からはとてもそれを窺うことは出来ない。何故なら普通にしていると、健常児と変わらない風貌だからであるし、私に似て、福山正治似のイケメンだからである(笑)。まあ、私に似ているとは言い過ぎたが、福山正治に似ているのは親のひいき目でないことを申し添えておきます。ところで、息子は社会的には精神病患者にカテゴライズされるらしい。何故、社会的には、という表現をするかというと、「身体障害者手帳」なるものを交付してもらったからである。「してもらったから」というと語弊があるかもしれないので、ここは詳しく説明を加えると、生まれつき四肢に障害がある場合など、例えば明らかに歩行が困難な場合、社会からこの人は障害があるということを認知されやすいが、息子のように精神に異常がある場合(文字にすると非常に辛いのであるが、あえてこう表現すると)、他人(社会)からはそのことを認知されにくいのである。このため、学校という社会生活を営む上で非常にハンディとなるから、放っておけばいじめられることは必至であったろうし、教師からも理解を得られなかったと思うのである。そこで、長男坊が小学校を卒業する今年の3月前に医師に診断書を書いてもらい、行政から身体障害者手帳なるものを交付してもらったのである。つまり、このような障害があることを中学校に手帳を提示して理解を求めてもらいにいったのであった。この決断が正しいかどうかは本当に分からないが、我々夫婦の決断であることに間違いはない。
 自閉症スペクトラム障害(ASD)は0.6%程度の割合で存在するらしい。1000人いると6人くらいがそうだとすると、結構な割合で存在することになる。また、程度には非常に差があって、重度になると重い知的障害を伴うことになるが、長男坊の場合、比較的症状は軽いかもしれないが、コミュニケーション能力は非常に低いし、知能指数は低いんだと思う。でも、重度の知的障害かというとそうでもないのである。要するに中途半端な状態なんだと思う。よその親御さんによっては、「うちの息子は身体障害者なんかではない。」と否定される方が多いかもしれない。我々も肯定したくなかったが、敢えてその道を選んだのである。すなわち、あくまで申告制だから、申告しなければ、障害者手帳なるものは交付されないということである。ちなみに、同じような手帳で「療育手帳」というものがある。これには該当しなかったようである。該当しなかったので、それ以上は調べなかったが、もう少し重度な症状に適用されているようである。
 身体障害者手帳なるものが届いたときは、正直辛かった。手帳の写真に収まった息子が何故か囚われの身になったような悲しい気分になった。妻は私よりきつかったと思う。女性はお腹を痛めて生んだ子だという意識があり、私よりも息子を不憫に思ったに違いない。祖母にあたる私の母は、身体障害者手帳の交付の事実を電話で伝えると、電話の向こうで泣いているのが分かった。母の夫、すなわち私の父は母と結婚をし、ちょうど私が母のお腹の中にいるときに交通事故の被害者となり、それ以来、身体障害者である。夫が身体障害者であるがゆえにその不憫さを人一倍知っているから、孫の不憫さを感じずにはいられなかったのかも知れない。
 このように告白めいて書いているが、我が家は極めて前向きで明るい家庭である。身体障害者手帳は我々からの息子への後方支援であると思っている。中学校入学の一日前、家族会議を開いた(というか、中学入学おめでとうパーティである。)のだが、その席で私は息子に向けてこう言い聞かせた。「お前は、自閉症スペクトラム障害という病気で、そのために言葉が話しづらかったりするんだけど、明日の入学式のあとの自己紹介のときに「僕は自閉症スペクトラム障害なんです。格好いいでしょ。」とギャグを言ってみたらどうか?」と。入学式の日の夕食のときに、そのように自己紹介したと息子が言ったときは本当に驚いたのである。「格好いいでしょ?」とまでは言わなかったらしいが、担任の先生から電話があり、息子が自己紹介で自分の病状を皆に伝え、理解を求めていたことに感動しましたと伝えられた。語彙力が乏しいゆえに、自閉症スペクトラム障害という言葉のネガティブさに気づいていないのだけれど、とにかく波乱含みの長男坊の中学校生活が始まったのである。
 この2カ月間は、頸椎症どころではなかった。症状はほぼ足踏み状態ですが、快方に向かっているという気はしています。とにかく、気力で完治しなければならない。学校のことや精神科とのやりとりで、この2カ月、妻には精神的負担をかけたことであろう。私も改めて覚悟しているが、このことは妻にも言い聞かせてある。「老後は3人と思っておこう。」と。

強烈なり(T_T)、インフルエンザB型。

4年ぶりとなるインフルエンザへの感染であった。またもや息子から下請けたのであるが、この時期に感染するのはB型とよばれるインフルエンザウィルスであるらしい。しかし、人類の生命体としての歴史はこのウィルスとDNAに常に支配され続けていると言っても過言ではないであろう。DNAが生物の個体を拝借して遺伝子情報を後世へと伝えるように、ウィルスも一定の抗性を保ちながら、生物へ時折りアクセスして来るといった感じである。ちょうどその抗性を試すかの如くである。本当にやめてほしい。
 先週の水曜日に発症して1週間が過ぎたが、今回は長男坊が感染源となり、家族全滅であった。このB型なるもの、なかなかの毒性と感染力であったと思う。妻と同時に感染し、仲良く二人で寝ていたのであるが、しんどいながら感心したのは、ウィルスがもたらす正確な病状である。妻とほとんどシンクロしていて、熱の上がり方、下がり方、症状の出方など、分刻みで全く同じで、ウィルスにおもちゃにされている感じであった。本当に情けない。A型はワクチンなどで馴染みがあるけど、B型は馴染みがないせいか、イナビル投与の後も、高熱こそ出ないにしても、37度5分くらいを5日間くらいさまよってい
た感じで、思いっきり体力を消耗してしまいました。皆様も油断することなかれですよ。本当に、しんどいんだから。

誕生日のプレゼントに

家内が誕生日のプレゼントにと言って、新しいテニスラケットと磁気ネックレスをくれました。誕生日は1月なんだけど、ラケットの新作を試打してからゲットしたかったので、延び延びになり、10日くらい前にようやくプレゼントの贈呈となりました。ラケットの効果は、まあ本人のスキルが影響するので、ここでは割愛するとして(笑)、一緒にくれた磁気ネックレスの効果について言及したい。
 頸椎症の手術を受けて、術後の痺れを若干引きずっているので、試せるものは何でも試そうと思ってはいましたが、ペインクリニック、整体やビタミン剤など身近なところを試して一定の効果が出ているけど、ここにきて磁気ネックレスなんかで効果が出るはずがないと思っていたら、結構効果は大きかったかも知れない。まあ、ひょっとしたら治る時期にあったのかもしれないけど、なかなかの効き目である。もともと肩こりのひどい家内が自分の肩こり予防にと始めたネックレスらしいのだが、効果があるからと私のために用意してくれていたみたいなんです。今は、肌身離さず着けています。そうもちろん寝る時もです。まあ、頸椎症の方(実際に神経に骨棘やヘルニアがあたっている方という意味)にはあまり効かないかもしれないけど、私みたいに術後の痺れを緩和させるのには、血行を良くするということは基本的だけど良いんじゃないかなあ。値段も手軽だし(私が毎年渡すプレゼントより随分と手軽な値段であるなあと実感する。実に恐ろしい(-_-;)。)、一度お試しあれ。

あの少年を悼んで

「神様、彼はそんなに優しい子ではないので、お願いだから彼を傍に置いておこうなんてことは考えないでください。」
これは、長男坊が2歳のときに、脳神経外科のMRIの結果、「くも膜のう胞の形成による脳梁欠損症」と診断されたときのこと。大袈裟な私は、このような聞いたこともない病名で診断された我が子が死んでしまうのではないかと思い、ちょうど予定していた家族旅行先の沖縄の宿で、当時2歳の息子の寝顔を見ながら、自棄酒で泥酔状態になり、心の中で祈るように叫んだ言葉である。私にとっては初めての子供で、当時は無邪気な優しい笑顔の天使であって、こんなに優しい子供だから、神様は私から笑顔の天使を奪い、自分の傍に置いておこうとするんじゃないかと思って、そんなに優しい天使ではなく、普通の子なんですと念じていたことを憶えている。実際、長男坊は神様の傍らに連れていかれずに済んだみたいで、現在も家族の一員である(脳梁欠損症は治らないんですけどね)。
 川崎市の事件は痛ましい事件である。あの少年の遺族の方の胸中を察すると、子どもを持つ親として行き場のない悲しみや憤りを感じずにはいられない。マスコミ報道でしかあの少年の人となりは分からないけど、とても優しく、皆から愛された少年のようだ。神様は、優しい天使のような少年だったから、彼をこんなに早くにその傍らの天国へと連れていってしまったのだろうか。ここに少年のご冥福をお祈り申し上げたいと思います。
文中の「神様」に宗教的な意味あいはなく、私の心の中にある偶像であることを申し添えておきます。

今日のバブリンカは特別強かった & 近況報告

今日の準々決勝のS・バブリンカは特別強かった。我らが錦織君も歯が立たない感じでしたね。バブリンカのシングルバックハンドはフェデラーを超える破壊力を持っているなあと改めて感じました。このシングルバックハンドはスイートスポットにあてるのが本当に難しいので、錦織君のバックハンドのように両手でラケットを握るバックハンドに比べて不利ではないかなと思っていたけど、バブリンカくらいになると、逆にシングルバックハンドの利点である角度のある強烈なリターンを打てるんだなあと感心しました。私も下手くそなシングルバックハンドなのですが、希望を与えてくれる今日のバブリンカでしたね。

さて、ブログの更新は3カ月ぶりくらいになります。この間何もなかったわけではないのですが、あまり報告できるほどの劇的な変化はありませんでした。ただ、悲観するほどのこともなく、本当にスロースピードで100%完治に向かっているのかなあと思います。前回のブログ更新からペインクリニックを2回、モンゴル整体を2回やりました。以前から主張していますが、ペインクリニックは効果はありますが、C6-C7の患部に遠いのかなあと感じています。硬膜外カテーテルのときは左手(特に人差指と親指)に暖かな血流が流れていく感じがして、これは効くなあと感じたのですが、このときは頸の下くらいから頸椎をめがけてカテーテルを挿入し、その状況をミエロで確認したら、ぴたりC6-C7の近くにカテーテルの口がありましたからねえ。ペインクリニックの場合は、かすかにピリピリっと感じるくらいで、効果は薄いかもしれません。ただ、患部に比較的近いところに麻酔薬のようなものを注入するので、何もしないよりは炎症は治まっているんだろうなと思います。ということで、本当に普通に日常を送っているのですが、座ってPCに向かう日々なので、やはり治りが遅いかも知れません。事務所で内勤のときは予防的にネックサポータを装着していますし、これは予防になっています。あと、ペインクリニックの先生に勧められたのが、頸の筋肉を鍛える運動ですね。頸上げ運動などは普通にやっていますが、これと逆、すなわち下を向いた頸を上に向けるときに後頭部から圧力をかける運動をやっています。とにかく地道に頸の筋肉を鍛えることが重要とのことでした。まあ、治癒率95%から99%を行ったり来たりしながら100%に向かっている感じかな。昨年末は1錠もリリカを服用せずに過ごしましたが、今年に入って、たまに服用する日がありますね。リリカを服用すると、100%完治になりますね(笑)。
一生、服用を続けても良いんですけどね。諦めず頑張ります。

土曜日のファミリーフィッシング

先週の土曜日、早朝から家族で釣り場に出かけた。この季節は、ベストシーズンである。寒くもなく日差しもきつくなく、釣りをしないで、ぼうっとしているだけでも気持ち良い時期なのだ。しかし、たまに釣りに来るのだから、どちらかというと必死で獲物を狙う。この日のターゲットはカワハギである。このカワハギという魚はおちょぼ口で餌だけを取っていくので、合わせるのが難しく、五感を研ぎ澄ませて迎え撃たないといけないので、めちゃくちゃ首こり、肩こりに苛まれるのである。
 獲物のカワハギは何とかゲット出来たが、その代わり、久しぶりに左人差指と親指に痺れがひどく出てしまった。特にその日の夜中、変な寝方をしてせいもあり、左手全体が痺れてしまって(おそらく左腕を下にしていたからか)、夜中に目が醒めると、人差指と親指の感覚がなくなるほど痺れていしまっていて、リアルに焦ってしまいました。しばらくしていると、痺れは治まったんだけど、そこから明け方まで眠れず、最悪の夜の出来事となりました。次の日も若干痺れが残っていて、気分の悪い日曜日となったのは言うまでもありません。
 と、ここまで書くと、月曜日はリハビリモードなのかというと、ところが、このブログを書いている今日、月曜日は何故か、先週より痺れ感が改善されているのでした。この痺れ感や麻痺感の症状は本当に神出鬼没というか、気まぐれに襲ってきたり、急に治ったりします。今までの経過も本当に気まぐれな治癒曲線だったので、あまり驚きませんが、あれほど痺れた週末は一体何だったんだろう?前にも何回かこのようなことを書きましたが、本当に自分でも納得がいかないくらい不思議なんです。もう少し経過を観察しようと思っています。